我が家の桜が開花。
25年前、娘が生まれた時になでん桜を買った。
その年は大震災もあった。
サリン事件もあった。
2月に普通に生まれた娘だったが
3ヶ月経っても大きくならない。
出産した病院で診てもらったが
先生は異常なしと言う。
4ヶ月目の集団検診で
先生が聴診器をあてた瞬間
母子総合医療センターに行くよう言われる。
翌日には検査を受けそのまま入院。
心臓と肺の同時移植しか治療はないと…
いつまで生きられるのかわからないと…
医師の言葉に頭の中が真っ白になった。
全く予期していなかった。
何も治療を施すことのできない娘を
日々見つめて9ヶ月を過ごした。
翌年の3月桜の頃に娘は旅立った。
なでん桜もその年咲いたきり枯れてしまった。
新しい桜の苗木を買って鉢に植え替えた。
鉢植えの桜はそんなに大きくならないと
思っていたら
順調に育ち立派な木になってしまった。
植木鉢は見事に歪んでしまっている。
臓器移植を考えた25年前
誰かの命を頂いてでもなんとかしたいと思う気持ちと
はたしてそれは正しいことなのだろうかと
心の葛藤を繰り返した。
大学病院へ移植コーディネーターの話を聞きに行った一週間後に娘の意識はなくなった。
人工呼吸器をつけられ、
3キロもないちいさな身体に
23本のチューブを付けて生かされている。
それでも生きて欲しいと望むのに
同じ誰かの命をいただきたいと思うのは
罪深い気がした。
桜の季節はその時のことを思い出させる。
あの年から臓器提供カードを常に持っている。
誰かの為に役立てるなら
すべての臓器を使ってもらいたい。
娘は1年後にこの世を後にした。
しばらくしてなでん桜も枯れてしまった。